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コーヒー誕生の歴史、日本初上陸のとき

若者からお年寄りまでの幅広い世代に愛され、アイスからホット、ドリップからエスプレッソまで楽しみ方も多彩なコーヒー。

世界中に普及する飲み物が誕生したきっかけは、いつ頃、どこで、誰による発見だったのでしょうか?コーヒー豆発見の起源に関する代表的な2つの伝説をご紹介します。

また、この日本にコーヒーが伝来した時期、場所も合わせて解説。一杯のコーヒーからただよう芳醇な香り、贅沢な風味がこの世に生まれ、受け入れられ、広まっていく最初の一場面を覗いてみましょう。

 

1.コーヒー発見伝説① ヤギ飼いのカルディ

昔々の物語。現在のエチオピア・アシビニア高原に、アラビア人ヤギ飼いのカルディが住んでいました。

広い牧草地でヤギを放し飼いにしていたカルディはある日、騒がしく飛び跳ねるヤギの姿を不思議に思い観察していると、あたりに茂る赤い木の実を食べていることに気づきました。

その実をすぐさま口にしたカルディ。すると、爽快な気分や仕事への活力がみるみる得られるではありませんか。

修道院で愛された、眠気覚ましの“魔法の実”

カルディはこの不思議な木の実の存在を、尊敬する修道士にも伝えます。眠気が冷め、スッキリした気持ちを得られる赤い実の効力は、夜通し続く修道院の儀式に参加する弟子らの居眠りを防止する“魔法の実”として重宝されました。

ヤギを興奮状態にさせ、修道院の僧侶達の睡魔をかき消した赤い実の正体こそ、コーヒーの実だったのです。

 

2.コーヒー発見伝説②イスラム僧のオマール

13世紀半ばのイエメンにおける伝説もコーヒー発見の起源として有名です。

イスラム教の聖職者シーク・オマールは、当時モカと呼ばれた国を代表する祈祷師として活躍していました。

ある日、王様の娘の病を祈りの力で治したオマールでしたが、美しい王女に恋心を抱きます。これを知った王様は怒りを覚え、オウサムという山奥へオマールを追放したのです。

一羽の鳥が導いた、救いの赤い実

失意の果てにおち、生きる気力を失っていたオマールのもとへ、ある時、綺麗な羽を持つ一羽の鳥が飛来します。

美しいさえずりに耳を奪われ、目の前の木にふいに手を伸ばした先にあったのは、初めて目にする赤い実。空腹に耐えかねて思わず口にしたオマールは、その実のあまりの美味しさに感動します。その後、摘み取ったたくさんの実からつくったスープは、オマールの気分を高揚させ、飢えから身を守る救世主となります。

オマールがつくった不思議な飲み物の噂は、彼を慕う町中の人々にも伝わり、病気に苦しむ多くの人を救う祈祷師としての地位と名誉を回復。コーヒーとの出会いが、再びモカの町へ戻るきっかけとなったのでした。

 

3.コーヒーの初来日は、長崎の出島だった

日本に初めてコーヒーが伝えられたのは、江戸時代初期(1640年代)の長崎出島説が最有力です。

鎖国中の日本で唯一、世界との交流が許されていた場所に駐在するオランダ人商人によってもたらされたと言われます。

ただ当時、コーヒーを口にできたのは、彼らと接触することができた役人・商人・通訳・遊女などの限られた人達でした。

お茶の文化が根づいた日本では、独特の苦味や香りに馴染めない人も多く、本格的に普及することはありませんでした。

オランダ人医師・シーボルトがコーヒーを宣伝

コーヒーの伝来から約200年後の1826年、長崎出島に来日したオランダ人医師・シーボルトは、日本人にコーヒーを飲む週間が未だないことに驚きます。

長年の交流がありながら、異国の文化が浸透していないことを憂いたシーボルトは、自身の著書『薬品応手録』にコーヒーの飲用をすすめる文章を掲載しました。

健康長寿に効果的な良薬であることをアピールし、コーヒーの普及に一石を投じたのです。

 

【まとめ】日本のコーヒー文化の発展は明治以降

コーヒー豆発祥の地と言われるイエメンやエチオピアで発見された赤い木の実は、本場のアラブ・アフリカ地方や西欧諸国で淹れ方、飲み方が進化し、各地の食文化にとけ込んでいきました。

海を渡り、オランダ人によって日本にも伝えられたコーヒーが広く知られるようになったのは、幕末の1858年に日米修好通商条約が結ばれ、自由貿易が始まってからのことです。

明治時代となり文明開化の波が日本全国に押し寄せると、コーヒーの美味しさや魅力に気づく人、食事とともに楽しむ人も徐々に増えてきました。

そう考えてみると、日本におけるコーヒーの歴史はおよそ150年と浅いことが分かります。

多くの人に愛される、とても身近なコーヒーの文化は、日本の急速な近代化とともに拡大発展してきたと言えるでしょう。