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コーヒーの漢字「珈琲」は当て字!? 考案者は幕末の大物蘭学者

私たちの生活にくつろぎの時間を与えてくれる「コーヒー」。カタカナ表記や英語表記が一般的ですが、漢字では「珈琲」と書きます。
街中のカフェや看板で見かけることもある漢字表記なのでご存知の方も多いと思いますが、「珈」も「琲」も、他で見かけたり使うことってありませんよね?

江戸時代にオランダから伝えられた異国の飲み物「コーヒー」が、漢字で「珈琲」と表記されるまでには、何度かの変遷と、幕末に活躍した大物蘭学者の存在がありました。

1.「可否」「可非」「黒炒豆」では浸透せず

日本全国に広めるための漢字表記

鎖国していた江戸時代の日本で、海外との関わりが唯一あった長崎・出島から、この国のコーヒーの歴史は始まりました。
漆黒の見た目や独特の風味は、なかなか日本人の口に合わないものでしたが、日本全国に広げるためには「コーヒー」と呼ばれている音に適当な漢字を当てはめる必要があったのです。

色々な当て字が考えられたものの…

コーヒーはオランダ語で「koffie(コーフィー)」と発音します。当時の人々は、どうにか日本語にしようと、「可否」「可非」「架非」「哥非乙」「黒炒豆」などを考えつきますが、まったく浸透しませんでした。
そんな中、幕末を代表する蘭学者の一人が、150年以上使い続けられる「珈琲」の当て字を生み出したのです。

2.造語の天才だった蘭学者・宇田川榕菴

蘭学の名門と知られる宇田川家の養子に

コーヒーを「珈琲」と漢字表記することを考案したのは、幕末に活躍した蘭学者の宇田川榕菴(1798-1846)でした。
大垣藩の江戸詰め医だった江沢養樹の長男として生まれた榕菴は、父親の師匠であった宇田川玄真の養子に出されます。宇田川家は蘭学の名門として有名で、榕菴も蘭学者・医者として頭角を表します。

あの言葉も、この言葉も、榕菴が考案

宇田川榕菴は、造語の天才でもありました。「珈琲」の当て字も、榕菴の作品の一つに過ぎません。
海外から伝わってきた化学や植物学の書物を翻訳する過程において、現在でも使われている様々な学術用語を造り出します。
分野別にいくつかをご紹介すると、宇田川榕菴の偉大な功績が手にとるように分かるはずです。

【元素名】      酸素、水素、窒素、炭素
【化学用語】  元素、金属、還元、溶解、試薬、酸化
【日常用語】  温度、沸騰、蒸気、分析、物質、法則、圧力、結晶、成分

3.「珈琲」の命名理由は、おしゃれで奥深い

宇田川榕菴の想像力とセンス

さて、宇田川榕菴は、コーヒーの漢字をどうして「珈琲」にしたのでしょうか。
その理由を紐解くと、榕菴の想像力とセンスの高さを感じることができます。「珈」にも「琲」にも、おしゃれで奥深い理由が隠されているだなんて…

「珈」は髪飾り・花かんざし、「琲」は玉飾りをつなぐ紐を表す漢字

珈琲の「珈」は、当時の女性が髪をまとめるために使った「かみかざり」と読み、「花かんざし」を意味する漢字です。
そして「琲」の読み方は「つらぬく」。かんざしの飾り玉をつなぐ紐の意味で使われていました。
「珈琲」とは、飲み物でも見た目の色や効能を表すものではなく、女性の髪を彩る「玉飾りのついた花かんざし」を意味します

「コーヒーの実=花かんざし」という発想

「コーヒー」という発音を聞いた宇田川榕菴は、花かんざしを意味する「珈琲」の漢字を当てはめました。
飲み物と髪飾り。まったく関係ないように思う2つがつながる理由は一体なんでしょう…?
その答えは、コーヒー豆が収穫される前の「コーヒーチェリー」にあります。

一本の枝に、真っ赤な実をよくよく見てみると、色あざやかな「髪飾り」に見えるではありませんか!
そう。榕菴は、コーヒーチェリーを当時の髪飾りに見立てて、「珈琲」の漢字を考案したのです。

【まとめ】「珈琲」を考案した宇田川榕菴の発想力は時代を超える

今回は、コーヒーの漢字表記「珈琲」が生み出された歴史的事実をご紹介しました。
幕末の蘭学者・宇田川榕菴は、コーヒーチェリーの見た目を「花かんざし」に見立て、髪飾りを意味する「珈」と、つなぎ紐を意味する「琲」を組み合わせて「珈琲」と命名しました。

コーヒーが日本に伝来して間もない頃に、榕菴はどうしてコーヒーチェリーの姿形を知ったのか?ここは、私たちの想像力が試されるところです。
何気なく目にし、認識していた言葉「珈琲」には、先人の類いまれなる発想力とセンスが込められています。この事実を知った時、蘭学者・宇田川榕菴の功績はより多くの人に再評価されることでしょう。